香料の歴史

日本における香りの歴史

日本における香りの歴史は、仏教の伝来とともに始まる。世界屈指の長編小説である紫式部の「源氏物語」には、『「沈香」「白檀」などを十二単衣に焚き込んで…』といった、奥ゆかしい香りの世界が登場する。香りの高い香木やバルサムや樹脂などを焚いた「薫香」がそのはじまりであろう。平安時代(794年~1192年)には、公家たちの香遊びを源流とし、三条西実隆を開祖とずる「卸家流」、足利氏が政権を握っていて室町時代(1338~1573年)には、志野宗信を開祖として武家を中心に広まった「志野流」といった香道が成立した。

時代が下って、甲冑に香を焚きしめて武運長久を祈った江戸時代(1603年~1867年)を経て、ようやく文明開化が訪れる。その問の長い鎖国の時代でも、長崎の平戸から今日の香水のようなものが到来していたことは、司馬遼太郎の歴史小説にも出てくる。

明治時代になると、薬種商が香料を輸入したり、欧米視察に出かけたり留学する先人たちや、外国人の訪日も増えた。その影響を受け、ロジャー&ギャレーの香水などがハイカラな婦入たちに愛用されるようになる。

一方、日本で最初の香水「藤」[梅]「菊」が、大正10年(1921年)資生堂か発売された。今日活躍している香料会社もまた、この時代にその発展の礎を 築いている。

日本の経済産業界は、第2次世界大戦によって大打撃を受けたが、戦後の衣食住といった生活の再建とともに、社会が安定してくると、消費者は香水の世界にも目を向ける余裕が生まれてきた。

香水市場は今日では国際化し、パリやニューヨーク生まれの香水も国内のデパートや専門店で手に入れることができる。また、日本のメーカーがフランスやアメリカに進出して現地で香水を製造し、販売するという新しい試みも行われ、香水界はボーダーレスの度合を深めている。

一方、地球環境の破壊・汚染が進むにつれ、エコロジーの観点にたった香粧品の見直しも行われている。アメリカでは「Green is beautiful」の合言葉のもとに、少なくとも天然香料の再評価が進んでいる。[可能な限りピュアな、グリーンな、環境に安全な製品]と銘打った作品が市販されはじめたのはそれを物語るものであろう。

最近の香水界を概観してみると、『自然な匂い』というコンセプトの作品が実に多い。グリーンで、フルーティーでフローラルで…というのは自然界にみる香りの大河であろう。これらの香料を巧みに取り入れ、豊富なニューケミカルを駆使して創作する。香料界は、原料面からみても、古い殻から脱皮して輝かしい夜明けを迎えている。 


香料の歴史は、人間の歴史

香料の歴史は、つねに人間の歴史とともに歩んでいる。香料の語源であるラテン語のPer fumum (煙を通してthrough smoke)が語るように、宗教的な儀式のひとつであるいけにえを神に捧げ、祈る時の煉蒸にはじまると推察される。

古代エジプトでは、肉体が滅んだ後も霊魂は生き続けると信じられ、ミイラづくりが行われたが、旧約聖書にも記されている没薬(Myrrh)や乳香(Olibanum)などがこのミイラづくりに用いられた。香料の防背匪を物語るひとつの歴史的な証しである。この時代に作られたピラミッドやスフィンクスの巨大な遺跡の壁画には、花の香りを嗅ぐ女性像が描かれ、かたわらに香油を入れる壷が配されていることからも、当時、すでに花の香りは芳しいものとして見なされていることは容易に想像される。

聖書のみならず、イスラム教の聖典コーランにはムスクとヒヤシンスが登場し、ギリシヤ神話にも香料の記述は登場する。こうした香料の技術は、アラビア人に受け継がれるが、アラビアは東西貿易の中継地として絶好の地であり、白檀やクローブ、パチュリなど数々の香料が取り引きされる場であった。やがてローマ時代になると、ギリシヤ時代の遺産を引き継いで香りを愛でるばかり
でなく、形をかえて、今日の化粧品の原形のようなものが出現している。

しかし、本格的な歴史への香料の登場は、十字軍の遠征をはじめとする一連の東方世界への航海に始まる。その結果、今のイタリアのヅエネツィアは一大貿易港となり、銀貨上りも高価とされた胡楸やさまざまなスパイス、芳香樹脂や香木などが中心に取り引きされていた。

このころフィレンツエでは、メディチ家がルネサンス文明の花を咲かせ、今日のハンカチーフ・パーフュームのもととなる香料が調合され、メディチ家の七妃カトリーヌがフランスのアンリ2世に嫁ぐのを契機に、こうしたイタリアの香料がパリに紹介され、宮廷で愛用され、お抱えのパーフューマーという存在が生じてくる。

一方、皮革産業で栄えていた南フランスのグラースでは、16L止紀からビターオレンジをはじめ、ジャスミン、ローズ、ラベンダー、チュペローズなどの香料植物を栽培するようになり、皮革産業がイタリアヘ逃げだした後でも、香料産業は存続し、隆盛の一途をたどった。ナポレオンの遠征で持ち帰ったケルンの水、すなわちオーデコロンの人気がグラースの発展を支えるようになる。

今日の上うな香水の出現は、14世紀のハンガリー・ウォーターにはじまるといわれるが、文献によるとローズマリーを使い、2、3の香料を混ぜ合わせただけの簡単なものであった。

香料採油法は、近代文明の恩恵を如実に受けている。香料を得るための蒸留法は、10世紀、アラビアの医師アヴィセナ(Avicenna)により発見され、実践されていたが、画期的で香料史上重要な発明は、19世紀後半のベンゼンや石油エーテルによる有機溶剤の抽出法であった。これが行われるようになると、それまで花からの唯一の抽出法であった牛豚脂を用いたマセラシオンやアンフルラージュ法(レオナルド・ダ・ヴィンチの発明)、いわゆるポマード法はその席を譲ることとなった。

このように19世紀に入ると有機化学のめざましい発達によって、天然香料の主香成分や主要成分が発見されるとともに、自然界には存在しない香料も発見作成され、使用される上うになった。合成香料の誕生である。一方、植民地の拡大に伴い、原料供給地は飛躍的に広がり、香料素材の発見、輸入へと結びついていった。こうして、多様化した天然香料に合成香料をブレンドして、それ
までは想像もできなかった新しい香りが続々と世に送り出された、ベルエポック(美しき優雅な時代。 1871~1914年)といわれる時代になると、今日の香水の流れを作ったオリジナルな香水が市販され始めた。

こうして豪華絢爛たる数々の名香が誕生し、市場に登場したことで、前世紀までは貴族や富豪といった裕福な階級の独占物であった香水が、徐々に一般の人達にも使われるようになった。これはひとつに、価格が安くなり、大量生産が可能になった合成香料のおかげである。そもそも、第2次世界大戦終了1945年)までの香水は、天然香料を士体とした処方構成であって、時間とともに移り変わる匂いの楽しみと、天然香料より醸し出されるマイルドで、いかにも香水と思わせる雰囲気を備えていた。当時は合成香料でさえ、(少なくとも1965年~70年くらいまでは)天然香料から単離したものを使っていたのである。これが石化資源すなわち石油あるいはターベンチン油を原料として、大量に消費される合成香料が安価に作られるようになったこと、微量成分の発見合成、さ
らには自然界にはないが香料的にみて価値のある香料、いわゆるニューケミカルといわれるものが間発・合成されて、香料素材の数が飛躍的に増加したのである。その数は6、000点に近い。

アメリカ、日本、EU諸国での香粧品の消費の増大とともに品質が一定で、安定な、また皮膚にも安全な香料が安価に供給されるようになった。一説によると、現在、合成香料4に対し天然香料1の比率になっているという。しかし、合成香料には独特の合成臭いわゆるメタリックなノートがあり、温かみに欠け、冷たい感じがする。その欠点をカバーし、香りに生命を吹き込むのが天然香料
である。現在でもジャスミン、ローズをはじめ、多くのアブソリュート(花精油)が合成香料で潤香されたものの味つけに使われている。

また、機器分析、有機合成化学が驚異的な発達を遂げた今日で乱再生の極めて困難な天然香料がある。例えば、「ウッデイノート」に分類されるパチュリ油、ベチバー油、シダーウッド油、オークモスアブソリュート、さらにはクローブ、ペパー、ナツメグ、カッシャなどの「スパイス類」、ナチュラル感にあふれているラベンダー、ローズマリー、ヘイなどの「ハーブ香料」、トップノートに用いられる「シトラス系の香料j、オリパナム、ミルー、トルーパルサム、ペルーバルサムなどの「レジノイド」、「バルサム類」のほとんどは代替が不能であるし、できたとしてもそのはんの一部に過ぎない。ナチュラルさを出す典型的な香料として用いられるビーズワックスアブソリュート、キャロットシード油などもその例外ではない。シベットやカストリウムは幸いなことにまだ購入使用できるが、今日ではもはや入手使用ができないムスク、アンバーグリスでも、もし可能ならば、香水などの製造には使いたい香料である。

人間の嗅覚には、はっきりと判別できない成分があり、自然界の香りの豊かさは、花精油を分析し、それを再生してみると実によく理解できる。時代が進み21世紀になっても、天然香料の占めるシェアは減少こそすれ、葬り去られることはまず考えられないというのが持論である。天然香料には、神の造化の妙としか思えない豊潤さとナチュラルキャラクターが含まれてるからである。 


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